隣人の顔を思い浮かべる時、その輪郭は案外とボヤケている
台湾に移住して、一年と少しが経過した。毎週、異国で過ごしている日々をメールマガジンとして記録していたので撮りためた写真がたくさんある。見返していると「まだ一年か」とも、「もう一年か」とも、どちらの気持ちも生まれてくる。
日本の地方都市に生まれ、中流家庭で育ってきた自分は往々にしてマジョリティとして過ごす時間が長かっただろう。そうした意識もろくにせぬまま成長してきていたわけだが、移住することで強制的にマイノリティに属することにもなった。それらをはじめに感じたのが社会的インフラへの接続の困難さで、初歩的なことから言えばゴミの捨て方もわからないのである。
台北はもちろん近代的な都市なので、飯を食い、必要最低限な日用品を得るのに困ることはない。しかし、それはどこまでいっても「他者との関わりを必須としない都市の生活レベルの話」に限るのであって、誰かの関係性に一歩でも踏み込むのであればまず言葉の壁は大きく立ちはだかる。さらに言えば、ビザがなければ携帯のキャリアを契約することもできないし、引っ越しをすればすぐに政府に新しい住処を知らせなければいけない。これまで当たり前に享受していた自らの生活が誰かの許しを得なければ成立しないという事実を突きつけられ、「疎外感」は一層その分厚さを増した。
こんな調子で「地域の一員になれないもどかしさ」を感じた時、自分がこれまでに描いてきた線と、その周縁にあったものがなんであったのかを考えてみたくなる。「こうした環境に身を置かなければ、できなかったのか」と思えば落ち込む部分がないわけではないが、事実そうであったのだから受け止めざるを得ない。今も昔もさまざまなリアリティを引き受けてきた市井の人々と、広がりを魅せる芸術祭が包括するものに目を向けながら。
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